記号論的分析の演習(D.I.Y. Semiotic Analysis: Advice to My Own Students) 記号論は、なにかを意味する全てのものごとに −言い換えると文化の中で、意味を持つ全てのことに− 適用できる。マス・メディアという文脈の中でさえ、記号論的分析をどのメディアのテクスト(それにはテレビやラジオ番組、映画、風刺画、新聞や雑誌の記事、ポスターや他の宣伝が含まれる)や、そのようなテクストを制作し解釈する実践に適用できる。ソシュール流の伝統では、記号論者がやらなくてはならないことは、特定のテクストや実践に拘るのではなく、その中で作用している差異や区分のシステムに注意を向けることである。第一の到達目標は、隠されている慣例をはっきりさせ、範疇、関係(統語的、範列的)、共示義、区分およびそこで用いられているそれらの組合せの体系をモデル化する試みにおける、重要な差異と対立を明確にすることである。例えば、‘礼儀正しい挨拶と無作法な挨拶を区別し、今風の服装と流行おくれの服装を区別するものはなにか’(Culler 1985, 93);そのような実践を調べることには、通常、表に出ないことを明らかにしようとすることも入っている。
(印刷された広告、アニメ化された漫画やラジオのニュース報道のような)‘テクスト’は、それ自身、他の記号を含む複合的な記号である。分析の最初にやるべきことは、テクストの中の記号とこれらの記号が意味をもつコード(例えば、カメラワークのような‘テクスト的コード’や身体言語のような‘社会的コード’)を明確にすることである。これらのコードの範囲では、(ショット・サイズ:遠距離ショット、中距離ショット、拡大ショット、のような)範列的集合を確定する必要がある。さらに、いろいろな記号表現間の構造的関連(統語)を明確にする必要がある。最終的には、テクスト内の記号やテクスト全体の思想的役割を議論する必要がある。テクストは、どのような種類の実在を、どのように構築するのか?それ自身の視点を、どうやって自明のものとするのか?どのような読者を仮定しているのか?
同じ命題を扱っている一対のテクストを詳細に比較し、対比することを強く勧める:これは単一のテクストを分析しようとするより、ずっと容易なことである。経験のある専門家による分析例を、自分の分析モデルとして利用するのも助けになるかもしれない。